広島地酒の特徴は逆転の発想から生まれました


軟水醸造法:三浦仙三郎:女酒





広島の酒が、全国に知られるべき理由。
広島で清酒醸造が始まったのは、今から470年ほど前、天正年間(1573年)だと言われています。


江戸時代から、まず兵庫の灘で酒造りが栄えた。灘には「宮水」と呼ばれる質のいい「硬水」(硬度が6~8)が湧いていたためです。


酒造りには、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル分を含む硬水が適しています。ミネラル分が
酵母の栄養分となって、元気のもととなってくれるためです。
酵母醗酵
が活発になるため、キレ味のいい辛口の酒が出来上がります。


それに対して、広島の水は違っていた。県内のほとんどの井戸水は、硬度が3~6度の軟水だったのです。これでは酵母に勢いがつかず、なかなか元気になってくれません。
広島の酒は、甘口で日持ちもよくない悪い酒になりやすかったのです。


そんな軟水の弱点を逆手にとって、逆に広島酒の個性として、灘とは違う酒を造り上げた男が現れた。
軟水醸造法と言われる画期的な手法を日本で初めて開発したのが、安芸津の醸造家・三浦仙三郎(1847~1908)です。


三浦は、水によって酒の味が異なることを知って、それならと、広島の水に合った酒造りを考えることにしました。そして明治20年代になって、独特の手法を開発することにたどり着いた。


まず、をしっかり育てることを考えた。硬水だと酵母が活発に働くので、麹は若いものを使うが、軟水ではそうはいかない。逆にをしっかり育てて、米の内部にまで充分にが行き渡るようにします。そうすると米の糖化が進んで、次のステップの発酵 が活発になると言うわけです。


つまり、硬水だと何もしなくても発酵が活発なのに対し、軟水だとその前の段階で、充分な下ごしらえが必要ということなのです。この広島が生んだ「軟水醸造法」は、軟水の弱点を逆に個性に結びつけた日本初の製法だったところに価値があります。


そして、その「下ごしらえ」でしっかり造ったは、そのおかげで香りが高く濃醇な味わいになって現れました。


広島の酒は、灘の「男酒」に対して「女酒」と呼ばれる、ふくよかでキメの細かい酒となって生まれ変わりました。広島酒は、それまで日本になっかた、まったく新しい味わいを個性に持つことになったのです。


こうして生まれた「広島酒」の評判は、それから高い評価を獲得し続けることになる。全国最初の清酒鑑評会で、広島の酒は灘・伏見の評価を大きく上回り、最高賞を獲得。全国にその存在を知らしめることになったのです。



「日本の縮図」である広島。日本酒は、もちろん単独で飲まれることもあるが、多くは食の文化とともにあります。それだけに、土地の特産物や料理の味わいで、酒の味も違ってくる。


一般的に言われるのが、薄味の西日本ではやや濃醇な酒が好まれ、東日本は逆に淡麗な酒が好まれるとされています。


その中で広島は、南は瀬戸内海に面した「海」の味、北は冬雪深い中国山地の「山」の味、そしてその中間に位置する盆地などの「里」の味がある。温暖な気候から雪国並みの豪雪地帯まで、まさに「日本の縮図」と言われる所以です。


それによって、同じ広島の酒でも、濃醇なものからやや淡麗なもの、甘口から辛口と、多彩で個性的な味わいの酒が揃っている。気候や風味、風情を背景に、それぞれの蔵が個性を求めながら、広島の酒を彩っている。


広島の気候や風土が育んだ、広島ならではの「広島の酒」。まさに「旨いぞ、まるごと!広島の酒」。